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フューチャーデザイン・プロジェクト~Future Design私たちが感じる未来~ vol.1 エイチタス特別顧問 蓮見×代表取締役 原【後編】

2019年エイチタスの特別顧問に就任した、前札幌市立大学理事長・学長で、現札幌市立大学/筑波大学名誉教授の蓮見 孝と、多分野で活躍する次世代リーダーとの対談企画をスタートしました。

第1回目は、エイチタス株式会社 代表取締役 原 亮と、これからの時代の価値観や技術の変化がもたらす社会の変化に対して、「私達はどのように生きていくべきか」、「どのような未来を創るか」、そして組織や地域の中でのエイチタスの役割などについて語り合います。課題解決(ソリューション)の時代から、イマジネーション&エレメントを活かして未来を共創する時代へ!
後編となります。

■前編はこちら

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:今、注目を集めているSDGsについて、蓮見さんはどう感じていらっしゃいますか。

SDGsそのものは素晴らしいのですが、2030年に向かって、国際社会がどう動いていくか、日本はどうする、地域はどうする、企業はどうすると、どのセクターも突然、言い出しているように感じます。

蓮見:SDGsを率直に受け止めるようにしながら、いつのまにか自国の文化に変えて、世界の注目を浴びるような、そんな感じでよいのではないでしょうか。

:日本としてのナショナライズ、地域にとってのローカライズを恐れずにやっていくということと、そこから新しいモデルを国際社会に発信していくのがSDGsの適切な取り組み方かもしれないですね。解決できない問題を17項目のカテゴリーに並べて「解決の仕方がわからないです。これをみんな、何とかしましょう」と出しているものなので、そこを「我々のアレンジで、こうしましたよ」とどんどん出していく。ローカルでやるということはそこなのでしょうね。

蓮見:原さんは、お坊さんになればよかったのにネ(笑)。般若心経などは、もともとは外国語ですよね。それが精神的な支えになって、写経などの文化にもなっていきました。そういう面では、リーダーやリーダーシップ、文化産業あるいは産業文化あるいは文化技術のリーダーたる人が必要なのではないでしょうか。

:それこそ空海は、向こうで真言密教を学習して、日本へ持ってきましたね。

蓮見:中国の宗教をそのまま布教しているわけではないですよね。加工・変形して、日本の風土に合うように昇華させ根付かせました。そういう機能を果たせる人は当時はあまりいなかったのではないでしょうか。

:大学時代の恩師が弁護士を経て、都市計画やまちづくりをしていたのですが、彼に言われたのは、「空海に学べ」。外来のものも意欲的に取り込み、アレンジしつつ、強烈な世界観を描き、それを実践に移していくというスタイルを教え込まれました。恩師の活動は、クリストファー・アレグザンダーの「パタンランゲージ」から、神奈川県真鶴町の「美の条例」を生み、EU憲法条約から市民発で新たな憲法の創出を手掛けるに至り、私も若い頃、そうしたすさまじい現場に触れる機会がありました。
SDGsにおいても、翻訳者であり、アレンジャーであり、ローカライズすることがエイチタスの役割かもしれないですね。

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蓮見:私は大学の授業では、しばしば “コンビニ批評”というのを語ります。コンビニが商店街を衰退させたみたいに言う方もいますが、私はコンビニをある意味で評価しています。24時間営業問題については、これから私たちも考えていかないといけないですが、アメリカから入ってきたものに日本人の趣向を取り入れた、すごく便利なサービスステーション。しかも街中のあらゆるところにあります。例えば、北海道のセイコーマートというコンビニは、ほとんど人の姿が見えないような過疎の街にもあり、生活支援拠点として定着している有益な生活インフラだと思っています。

:人の暮らしにウエットに関わってくるサービス拠点。日本の中でのコンビニの進化の仕方だったのかもしれませんね。

蓮見:アメリカで生まれたビジネスモデルを日本が取り入れてきて、この国に合うように、きちっと日本流に進化した好事例だと思います。他のものについても、日本流に進化をさせる力を、もっとキープし高めていかなければなりません。

:外から入ってくるもの、コンビニなども含めて郊外型の大きいモールも、紋切り型に批判をしているだけでは、何かを見落としてしまうというのがきっとあると思います。“こどもを連れて行く場所として、イオンこそ最強ではないか”という声が親御さんからあがってくるのもまた、リアルです。

一方で、商店街は昭和の高度成長期に物を売るために適した手段として出てきた形にすぎないのではないか?と考えると、もしかしたら活かせる部分は活かしつつ、視点を変えて模索する時期にきているのかもしれないですね。

蓮見:もっと長い歴史を持っているのが、何日かに一度たつ“市”や “露天のマーケット”。あれが生業の本質だと思います。

:そうですよね。「商店街をどうにかしなきゃ」と、そこで残したいのは商店街なのか、むしろ“市”なるものをもう1回地域に再生させていきたいのか、ですね。

蓮見:東京でも有楽町の国際フォーラム辺りには、ランチ時になるとキッチンカーが集まっていますよね。あれはマーケットの延長だと思っています。寂れた商店街で、めったに来ない客を待ち続けるより、人が集まるところに商店が出ていけばいいのです。そういう発想はぜんぜん突飛でもなくて、歴史的にも最も合理的なのだと思います。

:今の話で思い出しました。私は東日本大震災のときにちょうど宮城にいました。電気ガス止まってしまった時に、仙台の中心街で何が起こったかというと、近隣の農家さんや漁師さんが野菜や魚をトラックに積んで、その場で売るお店を開いていて、まさにマーケットが開かれるという瞬間を目の当たりにしました。飲食店の方々も在庫を持っていてもしょうがないから、炊き出しサービスをして、店の外にテーブルを並べて、さあどうぞと。そうすると自然と人が集まるし、自然発生的に情報交換が始まったりしていました。

蓮見:NPOがやっているようなことですね。

:みんな、自分の思い思いで、自発的にそういうことが起きていました。今の目の前の状況に対して、「自分はこうしたい」というのが自然と出ていたのです。

自分の感覚に合わせて、何かを社会に対してアウトプットしていく感覚を、みんながどう磨いて体現していくか。そこを伴走できたらいいかもしれません。「ここはこうやると、もっとすっと流れますよ」、「ここと組むとこういけますよ」、「このステージでやってみたらどうですか」と促しをするのが、エイチタスです。さらに“さらに豊かで自由なイマジネーションを持つための新しい考え方や感覚の持ち方を、チームにどうインストールしていくか”も、やっていきたいと思います。

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:少し話題を変えますね。抽象的ですが、“テクノロジーとどう向き合っていくか”という話題です。自分が感覚的に持っている体験をすっ飛ばしてテクノロジーが入ってきて、生活を一変させてしまう社会になっていくような気がしてなりません。どう捉えていったらいいのでしょうか。

私は IT 業界にいたこともあるので、基本的に使えるものはどんどん使うという立ち位置で、地域の中でも機械学習やいろんなインターフェースなど、新しいものを使うことを促していきたいと思っています。先日、介護のワークショップをやった際、介護に携わる方々にドキュメントの音声入力をご覧いただくと、「わあーっ!」とびっくりされていました。

そのように、自分たちが今できないと思っていることが急速に身近な技術として活かされるようになったことで、体験の幅はすごく広がっていると思っています。貪欲にもっと自分の暮らしの中にとり込んでいったらいいなというのと、一方であまりに進化が早すぎて、自分の感覚に追いつけないなとも思います。シンギュラリティと言われて、「技術の進化は怖い」というような感覚と「いやいや便利でしょ」という感覚があります。
考え方としてどう捉えたらいいのか、気になる部分ですね。

蓮見:「便利ならいいや」ということがある反面、「ただ便利ならいいのか?」という問題意識もあります。2000年頃の授業で、「カメラのフィルムがなくなるかもしれないぞ」と予言したことがありました。「え!すごい!」と学生たちは驚いていたのですが、すぐにそれが実現してしまい、カメラ自体が携帯電話と一体化してしまいました。これは便利でいいことなのですが、フィルムが入ったカメラでワンショットを大事に撮って、それをアルバムにしてとっておく、というような丁寧な人生の記録編集作業がネグレクトされています。私は両方あっていいと思いますね。だから、技術の進歩で本質的に大事なことが“置き換わってくる”ということが、本能的に怖いのです。
例えば、今の車というのは将来的にクラシックカーとして生き残れないのです。どうしてかというと、高度にコンピューター化された時点で、修理しながら長く使い続けるということができなくなってしまいました。昔の車というのはシンプルな機械だったから、手作りで部品を作れば、永遠に存続し得るような人工物なのです。だからある意味、記録に残せない人工物が増えてきていることは残念だなと思います。メンテナンスしながら、ずっと古いものを大事に伝えていく美学というものをなくしてはいけないと思います。

:そこもいくつか論点あると思っていまして、まさに“感覚”。五感で感じられるものが、消えていってしまうことに対する危機感。技術が進歩するなかで、その時代、時代の人達がみんな、思い続けていたことなので、これからも危機感としては変わっていかないのかなと思います。いろんなものが、技術が便利になる中で、手触り感とか五感で感じられるものをどう残すのか。技術とは直接関係のないサービス作りや設計、イマジネーションする時にも持っていて欲しい感覚の一つですね。

最近、リハビリの一分野である“作業療法”という領域に注目をしています。人がリアルで作業することによって自分の感覚を取り戻していく、リハビリの手法です。理学療法だと体の機能に特化されがちなのですが、作業療法になると、メンタルの部分にも入って、その人の在り方を問うみたいなところから、適切なリハビリのメニューを作っていきます。

彼らの中に今起こっている IT 化の一つとして、障害者の方々が使う自助具のようなアイテムを3 Dプリンターで作ることがあります。既存のものだけ使うと、デザインがイマイチだったり、自分が使いたい形にはなっていなかったりするので、障害者の方々も自分で作り、作業療法士さんも自分たちで作っています。作業療法のようなアイデアを持っている人が、人にとって快適なものの在り方、サービスの在り方を一緒に考えながら、一緒にプロトタイプをするために技術を使うことも新しい変化の一つです。

蓮見:ナースコールを3Dプリンターで手作りして、一人一人オリジナルのナースコール持っていたりしたら、楽しいですね。

:そういう規格品とは違うものの在り方を表現として身につけると、楽しい社会に一歩近づくと思います。メーカーも作業療法士のような感覚をどう表現したらいいかと、デザインする部分で取り入れてもらえたら、もっと、ものづくりも変わってくると思っています。

蓮見:本来人間が持っている能力というのがあって、生き物としての能力を使って街中を歩きまわって、いろんなものを触ったり見たり聞いたりしながら、リアリティを醸成しているわけですよね。これがすごく大事なことだと思います。私が一番恐れているのはテクノロジーに頼り過ぎると、担保すべき人間性の方が薄くなってしまうことです。

:技術を使ってものを生み出す人もその考え方、感覚を持ちつつですね。エイチタスでは今、仙台で“リビングラボ”という、企業と生活者、行政、大学が一緒になってイノベーションを生むための場づくりを進めています。地域の人と一緒に試せるラボのような機能が自然と生まれるプロセスを大事にすることが、一つポイントなのでしょうね。

エイチタスとしても自分としても、社会がいい方向へ向かうのではないかと、いろんな場作りやトライをしてきました。本日の話を通じて、新しく入ってきたものをどう取り込んでいくか、どう向き合っていくか、より明確になりました。人が少しでも前へ進めるような“イマジネーションを持つ”ということと、“エレメントとして捉える”ということをしっかり会社としても吸収しながら、お客様への提案をしていきたいと思います。

蓮見:いい感じで既存の、あるいは最新の概念やテクノロジーをカスタマイズし、自分の文化に変えていくという、したたかさが必要ですね。

:そうですね。企業などのお客様へもそこを一緒にやっていきませんかというような呼びかけができるといいのかもしれませんね。

蓮見:最終的には、「文化に昇華するテクノロジー」でしょうか!?

 

■蓮見 孝 プロフィールはこちらから

 

vol.2は次世代をリードする若きリーダーが登場します。お楽しみに!
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