フューチャーデザイン・プロジェクト~Future Design私たちが感じる未来~ vol.1 エイチタス特別顧問 蓮見×代表取締役 原【前編】
2019年エイチタスの特別顧問に就任した、前札幌市立大学理事長・学長で、現札幌市立大学/筑波大学名誉教授の蓮見 孝と新しい分野で活躍する次世代リーダーとの対談企画をスタートします。
第1回目は、エイチタス株式会社 代表取締役 原 亮と、これからの時代の価値観や技術の変化がもたらす社会の変化に対して、「私達はどのように生きていくべきか」、「どのような未来を創るか」、そして組織や地域の中でのエイチタスの役割などについて語り合います。課題解決(ソリューション)の時代から、イマジネーション&エレメントを活かして未来を共創する時代へ!
原:私がエイチタスを立ち上げて、丸3年が経ちました。「新しいことを始めたいのだけど、どうしたらいいかわからない」というお悩み相談的な案件や、自治体様の産業振興の領域、大手企業様で「既存事業とは少し毛色の違った新規事業をスタートアップ型で起こしたいのだけれど、企画をやってくれませんか」といったご依頼を多くいただいています。
東日本大震災という未曽有の経験から新しい社会への渇望が強まる中、私たちエイチタスは“アイデアソン”と呼ばれる手法も活かしながら、“場づくり”をしてきました。そこから自治体の産業振興で地域での起業・創業をできる人の育成や、地場の産業に対して ITや異分野の掛け合わせで新しいサービスを作る“種づくり”だったり、 大手企業の中で若い社員に対してスタートアッププログラムを取り入れて、新規事業を始める案件を多く手掛けています。最近は従業員規模4桁以上の企業様でも、「既存のビジネスだけにとらわれず、新しい社員を育成したい」というお話を多くいただいています。
それらを通して思っていることは、そもそも“何でみんながそれを必要としているのか”に対して、構造的に説明があるといいというところがまず一つ。もう一つは、なぜ必要としているかをまず考えて“場”に飛び込んでくれる人が、実は欠けていると思っています。
蓮見:興味深いですね。
原:自分たちで問いを立てる部分が非常に弱く、その重要性をあまり意識してこなかったのだと思います。「こういうサービスのアイデアがあるんですけれど」について“誰の何に貢献するのか、どう変わるのか”のストーリーを組む力が弱いと感じています。要は“誰のどんな困りごとや欲求に対して答えるために、新しいことを始めるのか”の掘り出し、練りこみが足りないのです。例えば 受託がメインのIT系の事業者なども、言われたものをかっちり作る、その能力はとても素晴らしいのですが、「それを必要とする根本的な問いは何ですか」と聞くと、自分の想像でしか答えられないことがあります。
そして、新しいことやりたいと言っている本人たちも、自分の欲求として何を成したいのか、言語化できてないのです。思いをめぐらすことも、うまくできてないのかもしれません。問いを見失ったまま、新しいことをやっていこうと騒いでいる風潮は非常に多いなと思っています。
サービスや商品を作り出す時に“どんな価値を出したいのか“というのが抜けたまま。新規事業を起こしたい既存の事業者でも、起業を望む若い方々でも、「こういうことをやりたいんです!」と機能の説明は上手にできます。でもその機能をユーザーが体験することで、どのような世界が実現するのかが見えてこないのです。そもそもの問いがどこにあるのかを探しながらやるという部分が、なぜ十分に意識されないままなのか。これが社会の風潮であるならば、なぜそうなのかが気になっています。
蓮見さん、新しいこと始めたい、スタートアップをやりたい、新しいサービス、新規事業を、と騒いでいる現象自体をどう捉えたらよいですか。
蓮見:私は企業に20年、大学で教育者として28年勤めました。大学へ行ってから、最初の頃と終盤の学生気質を比べると、「あなたは何がしたいのですか」という問いに明確に答えられない学生が増えているように感じます。
私は1976年にイギリスのRoyal College of Art(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート、以下、RCA)へ留学しました。入社5年後に行ったのですが、その2年ぐらい前にRCAで勉強したいという要望を大学に送りました。今はTOEFLが何百点以上とか留学制度がきめ細かくなっていますが、私の頃は語学力なんて全く問われませんでした。その代わりRCAからは、「あなたは何がしたいのですか」という極めてシンプルな問い合わせの手紙が来たのです。それについて答えると、「もっと具体的に」、「どうしてそれをしたいのか?」と聞かれ、そういうキャッチボールをしながら、ついに「それなら、うちの大学へ来る意味はあるだろう」という判断になり、入学許可が出ました。
原:マッチングをしっかりやるという感じですね
蓮見:大学院大学だったから特にそうなのかもしれませんが、“自分は何をしたいのか”ということが行動のベースとして大切だと思います。だけど今、大学院の、特に博士後期課程の学生に、「あなたはなぜこの研究をしているのですか」と聞くと、きっと「博士号が欲しいから」という、明快な答えが返ってくることでしょう(笑)。博士号が目的化されると、博士号が取りやすいような針小棒大なテーマを見つけて、一見非の打ち所のないような論文を要領よくまとめるのは得意なのですが、本来もっとも重要であるべき未知なるものへの探索や試行錯誤のプロセスがプアになってしまいがちなのです。
それは、現代社会の非常にイージーな部分、つまり “お金を出せば、いつでも何でも買える”というような社会環境の中から生み出されてきた変化ではないかと思います。だから、本来大切な部分の探求心や自己実現欲求が強い人ほど、落ちこぼれていくのではないかと危惧しますね。語弊があるかもしれませんが、一般的に社会の主流にないところほど、クリエイティブなマインドを持った人たちがいるという現実があるのかもしれません。
原:大手企業様で人材育成のプログラムをお手伝いさせていただいて、大事だと感じるのは、まさに「あなたは何をしたいのですか」というところと、同時に「あなたはどうありたいのですか」というところだと思います。“何をしたい”はある種、目的達成型みたいな捉え方になってくるので、そうするとそれこそ「博士号をとりたいんです」といったような、やりたいことと結構ごっちゃになったりしています。でも「自分自身がどういう状態になっていたくて、それで何をしたいですか」という問い方も大事だと思うのです。
ある人にその辺りを聞いたら、「自分は仕事をした時に相手が喜んでくれれば、それでいいんです」という言い方をされるのです。「目の前のお客さんに喜んでくれるために私は頑張る」パッと聞くと、とても耳障りがいいし、いいことを言っている気がします。ですがそこに一つ落とし穴があって、“自分がどうありたいか”が完全に抜けています。自分がどうありたいかを全部犠牲にして、相手が喜ぶということに対して、「自分のエネルギーを全部そそげるのですか」と問いたいです。自分が抜けてしまっているから、相手の期待値だけに対して貢献をしようとして、自己犠牲的になってしまい、苦しさを産むのでは?と気になります。
また、相手の期待のエネルギーが弱いと、自分の出力も同じように弱まっていくのです。相手の期待が弱かった時、本当は「いやいや、もっとこうしましょうよ」と、自分のやりたいアイデアがあれば、もっと働きかけができるはずです。でもその部分がないので、自分も一緒に引いて、おしまい、となってしまいます。
結局、ありたい姿が見えないまま、人の期待値だけを軸に生きてしまっていることに対しては、本人も周りも、すごくもったいないことになってしまっていますよね。企業はそういった人の育て方を今までしてきてしまったのでしょうか。
蓮見さんは企業にいた経験やそこで人を育てた経験を比べてみて、その辺りどう映りますか。
蓮見:それは業態によって随分違うと思います。いろんな仕事をあてがわれて、それを期間内に仕上げればそれで良し、とされることをずっと繰り返すような仕事もあるかもしれないですね。そういう業態の仕事の仕方と在り方、その中での人の存在の在り方をその業態が考えながら、業態が成長発展していくためにどうしたらいいかと考えているならよいのですが。
原:読みが同じ二つの“きょうそう”、共創と競争ということになっていくと思っています。その二つがうまく混ざり合う中で、自分の力を発揮していきます。そこに揉まれていくことで、自分はもっとこういう風に相手に働きかけをして、エネルギーを出して、自分がいいと思っているものを認められて、世に送られていく。他者との関係の中で、そういう部分が揉まれていくことが、人の成長には欠かせないと思います。
蓮見:あと一つは目的意識がどうのこうのというのは、私は一切なくて、常にイマジネーションなのです。頭の中にイマジネーションが浮かぶと、それを見てみたいという非常にシンプルな欲求が起こります。それを必死にやるわけです。私はイマジネーションで生きてきたと思いますし、そのイマジネーションがちゃんと実現してきたなと実感します。今もイメージしているものが頭の中にいっぱいあるのですが、ある意味何歳になっても、必ず実現するという確信を持ってやっているところに私の人生の充実感があります。
原:最初に私が言及した“問いを見つける”というのがだいぶ近いのかなと思っています。例えば、自分の中でイマジネーションを作っていく、要は目の前にあるものに対してもっとこうだったらいいという場合や、ちょっと違和感を覚えた時に、それではこういうものだったら、と描く力が必要で、描いたらやりたくなります。だから必要な手だてをどんどん打っていきます。そこが何か少し弱い人が多くなっているのでしょうか。 新しいものを生み出す時は、そういうエネルギーがとても大事なので、想像することやイマジネーションなどがポイントなのでしょうね。私がいろいろとやっているのも、まさにそのような、こういう風にしたらいいということを実践に移すことです。実践に移さないと社会に体現できないので、誰もやってないのだったら、「はい、やります」と手上げがパッとできるかですね。
蓮見:課題解決やソリューションというのは、あまり好きな言葉ではありません。というのは、あれも課題これも課題と言って、いろんな課題を箇条書きにして、この課題を一つ一つどう解決していけばいいのか、ということを発想しがちですよね。そうすると、少子高齢化、過疎化、地域産業の衰退化など、ネガティブな課題ばかりが出てきがちです。これをどうしようかと対処療法的に考え始めると、「どうしていいか分からない」となります。「こんなに多くの課題があるから、君たち解決してね」と次の世代を担う若い人が言われたとしたら、戸惑いますよね。「私たちはこういう方向をめざして動いてきたけど、これからは君たちの時代だよ。新しい夢を発展させてね」と言うようにしていかないといけないよね。
“課題”という言葉は人をネガティブにします。そうではなく、むしろ “エレメント”だと考えたい。多様なエレメントを活かして、どういう絵を描くかを考える時代になると思います。「20世紀から続いてきた高度経済成長、消費社会が終わって、少子高齢化、過疎化が進み、どうしようもない時代になっちゃったので、よろしく」と言うのではなく、「人間は今までいろんなエレメントを活かして様々なツールを作ってきた。そのようなツールを活かし組み合わせて、新しい調和を創っていく。これからが本番だよ」と学生に言うのです。いろんな人がいろんなことをやってきて、様々に辛いことがあったけれども、人間は一つ一つ障害を克服してきた。これからはさらにその先を行くのです。常にフューチャリスティックにものを考え捉えるという姿勢が、イマジネーションの泉になると思っています。
原:確かにそうですね。先生が言うところの“エレメント”をどう動かし、使っていくかで、自分なりの面白い世界を作っていく。そいうものの考え方が新しいアプローチの仕方なのでしょうね。
蓮見:今、国難とも言われている超高齢化は、これからの社会を創る“エレメント”の一つだと思うと、いっぱいいる高齢者をどう有効利用すればいいかという発想になりますよね。年寄りしか持ってない様々な能力があるはず。例えば昔を知っているという歴史学的な能力。そのような有能な年寄りを、「今が旬だ」と捉えていかないといけない。ネガティブに捉える人が多い中で、ポジティブにクリエイティブに捉える人が一人でも増えていかないと、社会は絶対良い方向に動いていきません。
原:そこを面白がるセンスや感覚って後天的に身につくものだと思っていますので、トレーニングする機会があるといいでしょうね。企業での教育かもしれませんし、大学や高等教育でも。そういった視点で実践的に何かを試してみることはやれると思います。
高齢化の話でいうと、今の高齢者の方が人口のボリューム的には大きいですが、比率で見るとどうか。私は1974年生まれなので今年で45歳です。この世代が後期高齢者になるのはだいたい2050年くらいです。内閣府の予測データでは、その時の高齢者が約39%、4割ぐらいが高齢者の時代。2100年の予測が約41%です。21世紀後半の日本は、概ね高齢化率40%の社会が続きます。2100年の後期高齢者75歳以上の人は、2025年生まれだから、まだ生まれていません。彼らは生まれる前から、超高齢化社会を生き抜くことが求められます。その入口にさしかかる今の一期世代が、この状態を “エレメント”と捉えて、どうクリエイティブに社会を作っていくか。そこがまさに次の世代にもきちんと伝えるべきところですね。変な宿題として残してしまうと、この先の社会は非常に暗くなっていくので、ここはこう明るく乗り切る!という発想も必要だと思いますね。
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